結婚を通過儀礼扱いにしている年配の方多すぎんよ
どうも、バチカです。
明日は夜勤なので今夜は結構夜更かしする所存です。だから、今はゆっくりとブログが書けるっていうね。
今日、書きたいと思っているテーマは「結婚」です。
先々週のゴールデンウィークに実家帰った時なんですが、俺もとうとう親から意識されるようになりました。結婚を。いい人いたら結婚しなよ、と。ああもう、そういうことを言われ始める時期になってきたんですね。まあ、親は前々から俺を結婚させる気満々だったので、今更言われたところで何ともないんですけどね。
一応、俺自身、結婚そのものに関してはあまりネガティブなイメージはありません。機会があればするよ。って感じ。ネットでは結婚に関してネガティブな話題が飛び交っていますが、俺は別に「結婚したくない」という気持ちは少なくともありません。夫婦仲の良い両親の背中を見て育ったからだと思いますが、ネットの書き込みを見るあたり、どうやら俺の家庭環境は結構恵まれているようですね。
ただ、その結婚観については、世代間で凄い格差があるような気がします。今日はそれについて主張したいと思います。
結婚は「させられる」ものであった親世代。結婚は「出来る/出来ない」ものとなった子供世代。
これはまだ職場での研修研修での話。年配の方(役員の人。めっちゃ偉い)が、こんな事を話してました。
「人生には四つの節目があります。一つ目は入学。二つ目は入社。三つ目は結婚。四つ目は退職です」
これを聞いた瞬間、失礼ながら内心思いました。
(一つ目はあるけど、今時、二つ目も三つ目も四つ目も怪しいだろ。今時、そんなの当たり前の話じゃない)
ここでは二つ目と四つ目は割愛しますが、三つ目は本当に思いました。人生誰もが通る節目じゃねえだろ。と。
現在は未婚率が上昇しており、これからも上がり続けるだろうと言われています。これは他の方ですが、年配の方々は大変理解されているようで、「少子化の原因として未婚率が上がっている。社員の一人一人が相応しいパートナーに出会えることが大切だ」と話していました。けれども、恐縮ながら俺は思ってしまいました。未婚率が上がっていて若者が結婚できないというのは分かってるみたいだけど、なぜ出来ないのかは意外と分かってないんじゃないの? だって、あなた方が若かった頃とは仕様が全然違うんだから。
彼らが若かった頃は、自分達が能動的に動かなくても、親戚やら上司やら外部の人達の力によって、若い男女がカップリングされていました。「結婚して初めて一人前」「結婚しないとそもそも生活できない」など様々な圧力もありましたが、彼らの世代は、とにかく結婚させられる時代でした。とにかく、通過儀礼のように誰もが当たり前のように結婚していた時代でした。
ところが、現代は違います。自由恋愛や婚活といった言葉に代表されるように、結婚までの道のりは過酷な市場競争と化してしまいました。能動的に動かないと、結婚どころか相手すら見つからない時代となったのです。というか、能動的に動いたとて、個人にそれ相応の魅力なりなんなりが無いと、結婚どころかパートナーを獲得する領域にすらたどり着けないというね。かくいう俺も、そんな感じなわけで。
つまり、結婚は出来る者のみが出来る時代へと変わってしまったのです。
この違いはエグいですよ。させられる。と、出来る者のみが出来る。の差は、もう天地雲泥の差です。どっちが結婚している人の割合が大きいのか一目瞭然でしょう。
年配の方々は、この事情をちゃんと分かっているのでしょうか。彼らがなぜ結婚できないのか。その原因を自分の若かった時の自分と照らし合わせても、多分きっと答えは出ないでしょう。だって仕様が違うのですから。難易度も価値観も何もかも。
通過儀礼のように誰もが結婚する時代は終わった。これを、年配の方々はぜひとも早く理解してほしいものです。しかし、世代間のずれというものは、なんとも残酷なものですね。
俺の親も分かってるようで分かってない気がするんですよねえ。時代が変わってしまったのは俺も理解しているので、俺も自力でなんとかしようと思ってはいるんですが、いかんせん↓のようなものですし、もうどうしようもない感じです。
ちなみに俺は、結婚しろ。という周囲の声に対し、常々こう言ってます。
俺を結婚させたくば、いい人を俺に紹介するんだな。
大体、相手はこれで黙る感じです。親にこれ言ったら、「分かった。任せとけ」みたいなことを言われてしまいましたけど。
ま、自分でも、何とかしたいとは思っているんですがね。